船岡山城

別名− 付近住所 京都府京都市北区紫野北舟岡町42 現在 船岡山公園
2005/6/2 碑・案内板アリ


京都の西北隅に優美な姿をよこたえる舟岡山は、平安時代には、数々の祭祀が行われ、遊宴の岡でもあった。しかし、中世後期には、戦略の要地として、この岡をめぐる攻防戦が行われた。その一は、応仁の乱にさいしてである。西軍の大内政弘、山名教之らがここに布陣して小ぜりあいが続き、応仁21468)年9月には西軍が三方から攻撃して攻め落した。しかし本格的な陣地は築かれなかった。第二は、戦国時代、足利将軍家と細川家の内紛にさいしてである。永正81511)年8月、いったん丹波に逃れていた将軍義尹が、細川高国らとこの岡に細川澄元、細川政賢を攻め、京都を奪回した。しかし将軍の権威は、戦国乱世のさなか、まったく有名無実であった。